博士まで取ったのに、やりたいことがない。「次に何をしたい?」が分からないときに

Career & Life

博士まで取ったのだから、きっとこの人は「自分のやりたいこと」がはっきりしているのだろう。

周りからは、そんなふうに見えるのかもしれません。

大学院に進み、一つの専門を選び、何年も研究を続けて博士号まで取った。途中で就職する道もあったのに研究を続けたのだから、「研究が好きで、この先も研究者として生きていきたい人」に見えるのは自然なことだと思います。

でも、実際にはそうきれいではない。

博士号が見えてきた頃や、その後のキャリアを考え始めた頃になって、初めて自分でも困ってしまうことがあります。

「で、これから何がしたいの?」

この質問に、なぜか答えられない。

研究を続けている自分も想像できるし、企業で働いている同期を見ると、あんな人生もよかったのかもしれないと思う。海外で研究を続けている友人の話を聞けば、もう少し挑戦してみたい気持ちが戻ってくることもある。その一方で、次のポジションや成果のことをずっと考え続ける生活には疲れていて、研究とは違う世界の自分を見てみたい気持ちもある。

何にも興味がないわけではありません。

むしろ、いろいろ気になる。

だから余計に分からない。

博士まで来たのに、私は自分が何をしたいのかすら決まっていない。

その事実が、思っている以上に自分を不安にさせることがあります。

周りからは順調に見えるのに、自分だけが次を知らない

博士までの道には、少なくとも目の前の目的がありました。

修士論文を書き、博士課程に進み、研究を進めて、学会で発表し、論文を書いて、学位を取る。もちろん思い通りにいかないことばかりですが、「今は何を目指しているのか」という問いには答えられた。

ところが、その先には急に決められた道がなくなります。

博士号を取ったあとも研究を続ける人もいれば、企業へ行く人もいる。海外へ出る人も、研究そのものから離れる人もいる。しばらく経つと、同世代の友人たちの人生も仕事だけでは語れなくなってきて、結婚したり、子どもが生まれたり、家を買ったり、まったく違う土地へ移ったりする人も出てくる。

それを見ながら、自分は何を選びたいのだろうと考える。

研究者としてもっと挑戦してみたい気持ちもあるのに、安定した生活を羨ましいと思う日もある。海外で活躍している人を見ると眩しく感じるのに、好きな人や家族の近くで暮らす人生にも惹かれる。仕事ではもっと上を目指したいと思っているはずなのに、仕事だけで何年も過ぎていくことには、どこか焦りを感じている。

どれも本音なのだと思います。

だから、一つに決められない。

そしてSNSやLinkedInを開けば、他人の人生には不思議なくらい筋が通って見えます。研究者として着実に業績を積んでいる人も、企業へ転職して楽しそうに働いている人も、海外で新しいキャリアを築いている人も、自分の選択に迷いがないように見える。

自分だけが、分岐点の真ん中で止まっているような気がしてくる。

でも、本当につらいのは「まだ次が決まっていない」ことだけではないのかもしれません。

博士まで進んだ自分なら、そろそろ自分の人生くらい分かっていて当然だと思っていた。

その期待に、自分自身が応えられないことの方が苦しいのだと思います。

研究の問いには向き合えるのに、自分の人生になると分からなくなる

博士課程では、分からないことと向き合い続けます。

予想と違うデータが出れば、なぜなのかを考える。知らないことがあれば論文を探し、仮説がおかしければ組み直す。何か月考えても答えが出ないことだってあるけれど、それでも「何が分かっていて、何が分かっていないのか」を少しずつ切り分けながら前へ進んでいく。

それだけ考えることに慣れているのだから、自分のキャリアについても考えれば答えが出そうなものです。

ところが、これが意外と出ない。

私は、それも当然なのかもしれないと思っています。

研究では、どれだけ難しい問いでも、自分と問いの間には少し距離があります。でもキャリアについて考え始めると、自分自身が問いの中に入ってしまう。

どの仕事が向いているかだけではなく、ここまで研究してきた時間をどう考えるのか、博士号をどう扱うのか、これからどこで暮らしたいのか、どれくらいお金が欲しいのか、仕事以外の人生をどうしたいのかまで、全部が絡んできます。

しかも人生は、実験のように条件を変えて比較できません。

研究を続けた10年後と、企業へ行った10年後を両方生きてから、良かった方を選ぶことはできない。海外へ行く人生を選べば、日本に残った自分がどうなっていたかは分からないままです。

選ぶということは、選ばなかった方の答えを知らないまま進むことでもあります。

研究では「分からない」ことを面白がれた人でも、自分の人生についての「分からない」は、なかなか面白がれません。

もしかすると、「やりたいことがない」わけではない

「私、やりたいことがないんです」

キャリアの話をしていると、そんな言葉を聞くことがあります。

でも、その人の話をもう少し聞いていると、本当に何も望んでいないわけではないことがあります。

今より収入を上げたいと思っている。次のポジションがあるか分からない状態をずっと続けるのはしんどいし、できることなら将来の生活をもう少し見通せるようになりたい。海外で働くことにも憧れがあるし、せっかく博士まで取ったのだから、自分がどこまでできるのか試してみたい気持ちもある。

一方で、仕事だけが人生の中心になることにも違和感がある。パートナーとの生活を大切にしたいかもしれないし、いつか子どもが欲しいと思っているかもしれない。好きな場所に住みたいし、自分のために使える時間も欲しい。

そして、できれば仕事でもちゃんと成功したい。

ここまでいろいろなものを望んでいるのに、それでも「やりたいことがない」と感じてしまう。

なぜなんだろう。

私は、ここに「やりたいこと」という言葉の難しさがあると思っています。

私たちはキャリアについて話すとき、「何をしたいのか」を職業や仕事の内容で答えようとします。でも実際に人生を選ぶときには、仕事の内容だけで決めているわけではありません。どこで暮らしたいのか、誰と暮らしたいのか、どんな毎日なら心地いいのか、何を手に入れたいのか、何なら諦められるのか。そういうものが全部混ざっています。

それなのに、自分が望んでいるものを「これはキャリアの話ではない」と脇へ追いやってしまうと、急に何もないように見えてしまうのです。

博士まで来た自分には、もっと立派な答えが必要な気がする

もう一つ、私は博士や研究者のキャリアについて話していて、とても気になることがあります。

自分の望みに対する審査が、厳しい。

「もっと収入を上げたい」と思っても、それだけで仕事を選ぶのは浅い気がする。「安定した働き方がしたい」と思えば、挑戦から逃げているような気がする。家族との時間を大切にしたいと思っても、それを理由にキャリアを変えていいのか迷う。

研究とは違う仕事に興味を持ったときには、さらに「博士まで取ったのに」という言葉がついてきます。

博士まで取ったのだから、専門性を活かすべきではないか。ここまで研究してきたのだから、もっと研究で成果を出すところまでやるべきではないか。せっかく方向を変えるなら、少なくとも今まで以上に意味のある仕事を選ばなければならないのではないか。

そう考えているうちに、キャリアの選択に必要な条件がどんどん増えていきます。

専門性を無駄にせず、これまでの経験が評価され、将来性があり、収入も悪くなく、自分が心から興味を持てて、周囲にも納得してもらえて、何年後かに振り返ったときにも「あの選択で正しかった」と思える仕事。

そんなものが見つかれば、たしかに素晴らしい。

でも、それが見つかるまで「私はまだ本当にやりたいことに出会えていない」と考え続けたら、いつまで経っても答えが出ないのも当然です。

もしかすると、やりたいことがないのではなく、「博士まで取った私が選ぶにふさわしい答え」でなければ、やりたいこととして認められなくなっているのかもしれません。

「もっとお金が欲しい」も、人生についての本音だと思う

私は、キャリアについて考えるときに出てくる少し格好の悪い気持ちを、あまり急いできれいにしなくてもいいと思っています。

もっと稼ぎたいと思うことも、評価されたいと思うこともあるでしょう。人から見て「成功している」と思われるキャリアに惹かれることだってあるし、逆に、もう競争から少し離れて穏やかに暮らしたいと思うこともある。

仕事も欲しいし、家族も欲しい。挑戦もしたいけれど、安心できる場所も欲しい。

人間だから、それくらい矛盾しています。

でもキャリアの話になると、急に私たちは自分を面接し始めます。

なぜその仕事をしたいのですか。その仕事を通じて何を実現したいのですか。あなたの専門性をどのように活かしたいのですか。

そんな質問を自分に繰り返しているうちに、人生そのものまで採用面接の回答のように整えたくなってしまう。

けれど、本当の人生はもっと雑然としていると思うのです。

「この研究領域を極めたい」という気持ちと、「もっとお金が欲しい」という気持ちが同じ人の中にあってもいい。「世界で活躍してみたい」と思いながら、「大切な人の近くで暮らしたい」と思っていてもいい。

どちらかが本音で、どちらかが偽物ということではありません。

むしろ、その矛盾を消してしまったときの方が、自分が本当に何を望んでいるのか分からなくなることがあります。

私のキャリアも、後から見るほどきれいではなかった

私は博士課程で研究し、その後は製薬で創薬研究を経験し、Harvardでも研究しました。

経歴だけを順番に並べると、「そのときどきで目標を決めて、計画的に進んできた人」に見えるかもしれません。

でも、自分の人生を内側から見ていた感覚は、そんなに一直線ではありません。

研究が好きだと思う自分もいれば、研究とは違う世界を見てみたい自分もいた。せっかくここまでやってきたのだから、もっと挑戦したいと思う一方で、自分の人生を仕事だけで決めたくないとも思っていました。

研究そのものは今でも好きなのに、「研究者としてこの先も生きたいのか」と聞かれると、そこには迷いがある。

この二つは、同じようでいて、実は少し違うのだと思います。

「研究は好き。でも研究職を続けたいかは分からない」という気持ちについては、こちらの記事でも書いています。

「研究が好き」なら、研究職を続けるべき?好きと仕事を分けて考えてもいい

周りの人のキャリアを見て、「あの道だったらどうなっていたんだろう」と考えることもありました。

だから私は、「まず本当にやりたいことを見つけて、それからキャリアを選べばいい」という話を、あまり簡単には言えません。

私自身、人の気持ちはそんな順番できれいに動かないと思っているからです。

何かを経験したから初めて欲しくなるものもあれば、実際に手に入れてみたら思っていたほど大切ではなかったものもある。以前は気にもしていなかったことが、年齢や環境が変わると急に大切になることもあります。

数年前の自分が望んでいた人生と、今の自分が望んでいる人生が違っていても、不思議ではありません。

むしろ、ずっと同じでなければならないと思う方が苦しくなる。

「何がしたい?」より先に、すでに心の中で起きていること

博士まで取ったのに、やりたいことがない。

そう思うと、自分には目標がないように感じます。

でも、ここまで読んで「少し自分にも当てはまる」と感じた人の中では、本当に何も起きていないのでしょうか。

研究を続ける未来を想像したとき、どこかに引っかかるものがある。ほかの仕事をしている人を見たとき、少し羨ましいと思う。仕事以外の人生を考えたとき、今までとは違うものが欲しくなっている自分にも気づいている。

それでも、その一つひとつを「こんなのはキャリアの理由にならない」と消してしまう。

そうすると、最後には確かに「分からない」しか残りません。

だから私は、「やりたいことがない」という言葉を聞いたとき、その人にすぐ目標を決めてもらおうとは思いません。

その言葉になる前に、どんな気持ちを自分で却下してきたのかの方が気になります。

本当は少し羨ましかった人生。

欲しいと思ったのに、欲張りだと思って引っ込めたもの。

博士まで来た自分には似合わないと思って、最初から選択肢に入れなかった道。

誰かに言ったら「もったいない」と言われそうで、まだ言葉にしていない気持ち。

そういうものまで全部なくしたあとで、「さて、あなたのやりたいことは何ですか」と聞かれても、答えられなくて当然なのかもしれません。

正解が分からないまま選ぶのが、怖い

そして、もう一つ。

「やりたいことが分からない」の奥に、実は「間違えたくない」が隠れていることもあると思います。

博士までの数年間は長い。

だから次の選択で、「あの時間は無駄だった」と思いたくない。研究から離れたあとで後悔したくないし、反対に研究を続けて何年か経ってから「あのとき違う道へ行けばよかった」と思うのも怖い。

できれば今の時点で、未来の自分が後悔しない選択を知りたい。

でも、それは誰にも分かりません。

ここが研究とは決定的に違うところです。

どれだけ情報を集めても、どれだけ自分について考えても、選ばなかった人生の結果までは手に入らない。

だから最後のところでは、完全には分からないまま選ぶしかない。

私は、キャリアに迷う苦しさのかなり大きな部分は、ここにあると思っています。

「自分のやりたいことさえ分かれば迷わなくなる」と思っているけれど、本当は、やりたいことが分かったとしても未来が保証されるわけではない。

自分の人生だからこそ、間違えたくない。

ここまで頑張ってきたからこそ、次もちゃんと選びたい。

その気持ちが強いほど、「まだ答えが出ていない」という状態に耐えられなくなる。

そしてまた、自分にはやりたいことがないから決められないのだと思ってしまうのです。

博士まで取ったのだから、ここまでの時間を無駄にしない選択をしなければならない。

そう思えば思うほど、研究とは違う道が気になっていても、簡単にはそちらへ向けなくなります。

「ここまで頑張ったのに、研究を離れたら全部無駄になる気がする」という苦しさについては、別の記事で詳しく書きました。

研究職を辞めたら負け?「ここまで頑張ったのに」と思ってしまう人へ

博士まで取ったのに、やりたいことがないあなたへ

私は、「やりたいことがない」という言葉を、何も望んでいない人の言葉だとは思っていません。

むしろ、いろいろなものを大切にしたいからこそ、一つの答えにできない人もいると思っています。

これまで頑張ってきた自分を無駄にしたくない。でも、これからの人生まで過去の選択だけで決めたくない。仕事では成功したいし、まだ知らない世界にも行ってみたい。でも、自分の大切な人や生活まで全部後回しにしたいわけではない。

そんな気持ちは、「やりたいことはこれです」という一文には、なかなか収まりません。

そして、収まらなくてもいいのだと思います。

もしかすると今必要なのは、新しい職業名を見つけることでも、立派なキャリアビジョンを作ることでもないのかもしれません。

「私は何もしたくない」と思っていた自分の中に、実はどれくらいたくさんの望みがあったのか。

その中には、自分で「そんなことを望んではいけない」と消してきたものもあるかもしれない。

人と話していると、ときどき本人が何気なく口にした一言に、その人がずっと言えなかった本音が現れることがあります。

その瞬間まで、自分では気づいていなかったりする。

私はキャリア相談で、すぐに「では目標を決めましょう」とはしたくありません。

話があちこちに飛んでもいいし、「でも」と「やっぱり」が何度出てきてもいい。むしろ、その矛盾した言葉を一緒に追っていくと、「この人が本当に迷っていたのは転職先ではなかったんだ」と見えてくることがあります。

「次に何がしたい?」と聞かれて答えられないことを、恥ずかしいと思わなくてもいい。

博士まで取ったのに、ではなく、博士まで一つの道を歩いてきたからこそ、初めて自分の人生全体を選ぼうとしたときに、分からなくなることもあるのだと思います。

そしてもし、「やりたいことがない」と何度考えても同じところに戻ってきてしまうなら、本当に何もないのか、それともまだ自分でも言葉にできていないものがあるのか。

そこから一緒に話してみることはできます。

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