朝、インキュベーターを開けたら、昨日まで元気だった細胞が死んでいる。
昨日は出ていたはずのシグナルが、今日はきれいに消えている。閾値を少し動かしただけで有意差がなくなって、何度見直しても「これ、使えないな」と思う。
コントロールも立たない。再現も取れない。次のミーティングはもうすぐなのに、見せられるデータがない。
研究がうまくいかない。
最初は、それだけだったはずです。
何週間も条件を振ったのに、結局使えるデータにならない。原因が分からないままやり直しが続いて、気づけばまた最初からになっている。
研究をしていれば、そんなことがあるのは分かっています。
最初のうちは、「どこが悪かったんだろう」と考えられる。試薬なのか、条件なのか、自分の手技なのか。先輩に聞いたり、文献を読み直したりして、次に試すことも思いつく。
でも、それが何週間も続くと、だんだん実験の話ではなくなってきます。
「私のやり方が悪いのかな」と思い始め、そのうち「こんなこともできない私は、研究者に向いてないのかもしれない」と、自分自身の話に変わっていく。
夜、家に帰ってから何となくスマホを開いて、「研究 うまくいかない」「研究者 向いてない」「実験 失敗ばかり」と検索したことがある人もいるかもしれません。
もし今この記事を読んでいるなら、たぶん知りたいのは、失敗した実験を立て直すためのチェックリストだけではないのだと思います。
そんなことなら、もう研究室で散々考えてきたはずだからです。
データがないだけなのに、PIとのミーティングまで怖くなる
研究が順調だったころには、それほど怖くなかったはずのPIとのミーティングが、研究成果が出ない時期には妙に重く感じることがあります。
次のミーティングまであと一週間、あと三日、と予定表を見るたびに焦る。先週も大した結果を見せられなかったのに、今週もまだ何もない。
「この一週間、何をしていたんだろうと思われないかな」
実際にそう言われたわけでもないのに、頭の中ではもう評価を下げられたような気持ちになっている。
本当はまだ解釈できないデータなのに、何とか一枚スライドを増やせないか何度も見返したり、今週やったことをできるだけ立派に見せられるように資料を作ったりする。
気づけば、研究を前に進めるためというより、「何もしていなかった人に見られないため」にスライドを作っている。
こうなると、つらいのはデータが出ないことだけではありません。
「データが出ていない自分を見られること」が怖くなっています。
研究は、自分で考えた仮説を自分で試し、その結果を自分の名前で発表する仕事です。成果と自分との距離が近いからこそ、研究がうまくいかない時期には、研究の進捗と自分自身の価値まで一緒に下がっているように感じてしまうことがあります。
🌿 Marinの独り言
私も、研究がうまくいかないときほど、実験そのものより「周りからどう見られているんだろう」ということに傷ついていた時期がありました。研究の問題を考えているつもりなのに、いつの間にか自分の評価のことばかり考えてしまうんですよね。
隣の人の成功が、どうしてこんなに苦しいんだろう
自分の研究が止まっていても、周りの研究まで止まってくれるわけではありません。
同期にはきれいなデータが出る。後輩の論文が先にアクセプトされる。同じ学年の人が学会で賞を取る。隣の人は、次のミーティングでも新しい結果を持ってくる。
その人たちは何も悪くありません。
むしろ普段は仲がよくて、本当なら心から「おめでとう」と言いたい相手かもしれない。
それなのに、相手の成功を聞いた瞬間、胸の奥が少しざわつくことがあります。
それまで普通に話していたのに、論文が通ったと聞いた途端、自分の研究だけが急に惨めに見える。「いいな」と思った次の瞬間には、「なんで私はできないんだろう」と自分に戻ってくる。
もっと人には言いにくい感情もあります。
同じように苦戦している人がいると聞いて、一瞬だけ安心してしまうことがある。
「私だけじゃなかった」
そう思って少し楽になったあとで、他人がうまくいっていないことに安心した自分が嫌になる。
嫉妬するような人にはなりたくないし、誰かの失敗を喜ぶ人にもなりたくない。それなのに、自分が追い詰められていると、普段なら持たないような感情まで出てきてしまう。
研究テーマも違えば、実験系も違います。使える予算も、指導環境も、研究を始めた時点のデータも違う。
そんなことは、研究者なら分かっています。
それでも比較してしまう。
「他人と比べても意味がない」という正論を聞いても苦しさが消えないのは、頭で理解していないからではありません。
人の心は、そんなに論理的には動いてくれないからです。
☕ ちょっと一服
「嫉妬しないようにしよう」と頑張る必要はないと思っています。嫉妬している自分が嫌で、さらに自分を責め始めると、もともとの苦しさにもう一つ苦しさが加わってしまうからです。余裕がなくなった自分には、普段とは違う感情が出ることもあります。
私自身、昔から人と比較される環境があまり得意ではありませんでした。
一人で自分のペースで取り組んでいるときには平気だったことが、周囲の成果や評価が見える場所にいると、途端に「自分はできていない」という感覚に変わることがありました。
今なら、比較される環境で苦しくなることと、自分に能力がないことは別の話だと分かります。
でも、その真ん中にいるときには、なかなかそうは思えません。
「研究者に向いてない」と思うと、少しだけ楽になることがある
「私は研究者に向いていないのかもしれない」
そう考えること自体、とても苦しいことです。
でも、ここには少し複雑なところがあります。
「向いていない」と結論を出すことで、少しだけ楽になることもあるからです。
研究は、努力した時間と成果がきれいには比例しません。毎日頑張っても結果が出ないことがあるし、何か月も追いかけた仮説が違っていたことだってあります。
しかも、いつ状況が変わるのか分からない。
来週うまくいくかもしれないし、半年後も同じところで止まっているかもしれない。
そんな終わりの見えない状態に耐え続けるくらいなら、「私には才能がなかった」「私は研究者に向いていなかった」と理由をつけてしまった方が、この苦しさには説明がつきます。
向いていなかったのなら、もう降りてもいい。
才能がなかったのなら、これ以上自分を証明しなくてもいい。
だから、「研究者に向いてない」という考えが頭から離れなくなったとき、本当に研究そのものが嫌いになったとは限りません。
研究が嫌なのではなく、これ以上失敗する自分を見たくないのかもしれない。
研究が嫌なのではなく、次のミーティングで何も見せられないことが怖いのかもしれない。
研究が嫌なのではなく、周りの成功を見るたびに自分を嫌いになる生活に、もう疲れてしまったのかもしれません。
「向いていない」という言葉は、ときどき、傷つき続けている自分をその場所から逃がすための言葉にもなります。
実験の原因を確認することくらい、もう散々やっている
もちろん、実験がうまくいかなければ原因を考えます。
試薬やサンプルに問題はないか、コントロールは動いているか、手技は安定しているか、条件設定は適切か。場合によっては仮説そのものまで疑う。
研究では当然必要なことです。
でも、それをここで長々と解説することが、この記事の役割だとは思っていません。
この記事を読んでいる人の中には、もう全部やった人がいるからです。
先輩にも相談したし、PIにも聞いた。条件も変えた。文献も読み直した。考えられることは試したのに、それでも研究がうまくいかない。
そこでまた失敗すると、今度は「次は何を変えよう」と考える力そのものがなくなっていきます。
ラボへ向かう朝に気持ちが重くなる。実験ノートを開きたくなくなる。誰かから「最近どう?」と聞かれることさえ面倒になる。
それでも研究室では普通に振る舞って、「まあ、もう少し条件を振ってみます」と答えている。
家に帰ると、何もしたくない。
週末に休んでも、日曜の夜になると月曜日の実験を思い出して気持ちが沈む。
そこまで来ている人に、「失敗の原因を一つずつ整理してみましょう」と言っても、たぶん届きません。
もう、その段階の話ではないからです。
🌿 Marinの独り言
研究者は「考えること」には慣れています。だから苦しくなったときにも、もっと考えれば答えが出ると思ってしまいがちです。でも、考え続けた結果、頭の中で研究、自信、評価、将来が全部絡まってしまうこともあります。
研究を辞めたいのに、転職サイトを閉じてしまう夜
研究がうまくいかない時期に、突然転職サイトを見るようになることがあります。
企業の研究職なら今とは違うのだろうか。研究以外にも、自分にできる仕事があるのだろうか。このまま研究を続けるより、別の世界へ行った方が楽なのではないか。
求人を見ている間だけは、少し未来が開けたような気がする。
ところが、本当に応募するところまで想像すると、今度は急に怖くなります。
研究を辞めたら、今まで頑張ってきたことは何だったんだろう。
大学院へ進み、実験がうまくいかない時期にも研究室へ通い、論文を読み、何年も一つの分野を追いかけてきた人にとって、研究は単なる職種ではありません。いつの間にか、「自分は研究をしてきた人間だ」という感覚そのものにも入り込んでいます。
だから研究を離れることは、仕事を一つ変えるだけには感じられない。
これまでの自分まで、その場所に置いていくような気がすることがあります。
「ここで辞めたら逃げたことになるのかな」「博士まで来たのに、結局研究者として成功できなかっただけなのかな」と考え始めると、今の研究がつらいという話だったはずなのに、過去の人生まで採点し始めてしまいます。
この感覚が強い人には、研究職を辞めたら負け?「ここまで頑張ったのに」と思ってしまう人へも読んでほしいと思っています。研究職を離れることが、なぜ単なる転職以上に重く感じられるのかについて書いています。
研究が嫌いになったわけではないから、余計に決められない
さらに悩ましいのは、研究そのものを完全に嫌いになったわけではない場合です。
面白い論文を読めば、今でもワクワクする。自分の仮説とデータがつながった瞬間は嬉しい。誰も知らなかったことが少しだけ見えたときには、やっぱり研究は面白いと思う。
それなのに、今の生活はもうしんどい。
研究が嫌いなら、もっと簡単に離れられたかもしれません。
好きな部分が残っているから、「それでも続けるべきなんじゃないか」と思ってしまう。
そして、研究を辞めたい自分を「根性がない」「逃げている」と責め始めることもあります。
でも、研究が好きであることと、研究職という働き方をこれからも続けたいことは、必ずしも同じではありません。
好きだったものから離れることを考えるとき、人は嫌いなものを手放すときよりずっと迷います。
もし「研究は好きなのに、研究職を続けるのはしんどい」という感覚があるなら、「研究が好き」なら、研究職を続けるべき?好きなのに離れたいと思うあなたへにも、その気持ちについて書いています。
「研究しかしてこなかった私に、他に何ができるの」と思ってしまう
研究を離れる可能性を考えた瞬間、今度は別の怖さが出てくることがあります。
研究をしない自分には、何が残るのだろう。
専門分野なら分かる。実験ならできる。論文なら読める。でも、それを直接使わない仕事になったら、自分には何も価値がないように感じる。
特に、研究がうまくいかなくて自信を失っている時期には、「研究者としても大した成果を出せていないのに、研究以外の世界で評価されるわけがない」とまで思ってしまうことがあります。
ここは、とても怖いところだと思います。
一つの実験がうまくいかなかったところから始まったはずなのに、いつの間にか「研究以外でも私は何もできない」というところまで、自分の評価が広がっているからです。
研究室という特殊な環境に長くいると、自分が日常的にやっていることの価値は、自分では意外と見えなくなります。
「研究しかしてこなかったから、他の仕事なんてできない」と感じているなら、自分の強みがわからない研究者へ|研究経験から「転職で使える強み」を見つける方法も参考になると思います。
ただ、今すぐ「自分の強みを10個書き出そう」とは思わなくて大丈夫です。
自信をなくしているときに自分の長所を探そうとしても、「そんなものない」で終わってしまうことがあります。
一番傷ついているときに、自分へ一番厳しい判決を出してしまう
研究がうまくいかない時期に怖いのは、一つの失敗が、だんだん大きな判決に変わってしまうことです。
最初は「今回の実験がうまくいかなかった」というだけだった。それが何度も続くうちに、「私は実験が下手なのかもしれない」と感じ始め、やがて「私は研究者に向いていない」になり、最後には「私は何をやってもダメなんじゃないか」というところまで広がってしまう。
研究室で起きた一つの問題が、いつの間にか自分の人生全体の評価になっている。
しかも、そんなときほど本人にはその変化が見えにくい。
自信をなくしている最中の自分は、必ずしも自分自身を公平には見ていません。
だから私は、「研究者に向いていない」と思ったときに、すぐ「いや、あなたは向いています」と励ますこともしたくありません。
本当に研究から離れた方が幸せな人だっているからです。
逆に、「つらいなら辞めればいい」と簡単に言うこともしたくありません。
本当は研究が好きなのに、今あまりにも傷ついていて、研究そのものまで嫌いになったように感じている人もいるからです。
外から見れば同じ「研究を辞めたい」でも、その中に入っているものは人によってかなり違います。
☕ もう一度、ちょっと一服
今この記事を読みながら、「まさにこれかもしれない」と思うところが一つでもあったなら、それだけで十分です。今日ここで、研究を続けるか辞めるかまで決める必要はありません。
誰にも言えないから、一人で答えまで出そうとしてしまう
研究室の中では、意外と弱音を吐けません。
同期には、自分が比較して嫉妬していることなんて言いたくない。PIには、「もう研究者に向いていない気がします」とはなかなか話せない。家族や研究をしていない友人に話しても、「そんなにつらいなら辞めれば?」と言われそうで、それも少し違う。
だから、一人で考えます。
研究のことだけを考えているつもりが、いつの間にか評価のこと、同期との比較、自信のなさ、博士まで来たこと、転職への怖さ、この先の人生まで全部混ざってくる。
そうなると、「自分が何に悩んでいるのか」さえ、うまく説明できなくなることがあります。
私は、そんな状態で相談してもいいと思っています。
研究を続けたいのか分からなくてもいいし、転職すると決めていなくてもいい。
「もう研究室へ行くのがしんどいけれど、本当に研究を辞めたいのかは分からない」
「周りと比較する自分が嫌になっている」
「研究者に向いていないと思うけれど、それを認めるのも怖い」
そのくらい、まだぐちゃぐちゃの状態からで大丈夫です。
むしろ、全部きれいに整理できているなら、人に相談しなくても答えを出せることがあります。
一人で考え続けているのに、何度考えても同じところへ戻ってしまう。その状態がしんどくなったときには、誰かと話すことで初めて見えてくるものもあります。
まだ何も決まっていない。ただ、このまま一人で考え続けるのがしんどい。
そんなときに、話しに来てもらえたらと思っています。
🌿 Marin Career Lab 公式LINE
まだ誰かに相談するほどではないけれど、研究やこれからのキャリアについて少し考えてみたい。
そんな方に向けて、Marin Career Labの新しい記事や、研究・キャリアについてのヒントをLINEでもお届けしています。
「まだ相談するほどではない」と感じているなら、まずはLINEでつながっておいてもらえたらと思います。
研究がうまくいかない時期は、その日の実験結果だけで気持ちが大きく揺れます。今すぐ答えを決めなくても、少し離れたところから研究やキャリアについて考えられる場所があるだけで、気持ちが変わることもあります。
一方で、「もう一人で考えるのがしんどい」「誰かに今の状況を話してみたい」と感じているなら、Marinではココナラで単発相談も受けています。
研究を続けるのか、環境を変えるのか、研究以外の道を考えるのか。まだ何も決まっていない状態でも大丈夫です。
むしろ、「自分でも何に悩んでいるのか分からなくなってきた」というところから話してもらって構いません。
もし一度話して終わりではなく、もう少し時間をかけてこれからのキャリアを考えていきたい場合には、MENTAで継続的な相談も受けています。
研究がうまくいかない時期は、データだけではなく、自分まで見失いやすい時期です。
だからこそ、一番傷ついている今の自分だけを材料にして、「私は研究者に向いていなかった」と人生全体の結論まで出さなくてもいい。
まだ誰にも言えていないことがあるなら、そこから話してみてもいいと思っています。
ABOUT MARIN
Marin|PhD(医科学)・Career Mentor
PhD(医科学)取得後、製薬企業での創薬研究、Harvard Medical Schoolでの研究を経験。現在もライフサイエンス領域で仕事をしています。
Marin Career Labでは、博士号取得後のキャリア、研究職からの転職、30代のキャリア、若手研究者の進路や学振などについて発信しています。



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