「研究が好き」なら、研究職を続けるべき?好きと仕事を分けて考えてもいい

Career & Life

研究は好き。

新しいことを知るのは今でも面白いし、分からなかったことが少しずつ見えてくる瞬間には、やっぱり心が動く。誰かとデータについて話し始めたら、気づけば夢中になっていることもある。

それなのに、ときどき思う。

「私は、この先も研究職を続けたいんだろうか」

この気持ちは、研究が嫌いになったときより、むしろ扱いに困ります。

研究なんてもう嫌だと思えたら、もっと簡単なのかもしれません。

実験も嫌い。論文を読むのも嫌い。研究のことなんて考えたくもない。そこまで気持ちが離れていれば、「じゃあ、次へ行こう」と自分にも説明しやすい。

でも、嫌いじゃない。

むしろ、好き。

だから苦しい。

研究が好きなのに研究職を離れたいと思う自分は、何かがおかしいのではないか。博士まで進んだのに、結局研究を続けないなんて、あれだけ好きだったものから逃げることになるのではないか。

そんなふうに考えて、また研究職に戻ってくる。

でも私は、ここには一つ、混ざっているものがあると思っています。

研究が好きであることと、研究者として生きること。

似ているようで、これは同じことではありません。

「研究が好きだった自分」を裏切るような気がする

博士まで研究を続けてきた人なら、最初から研究が嫌いだったという人は、それほど多くないと思います。

何か知りたいことがあった。

実験が面白かった。

一つのテーマを誰より深く考えることが楽しかった。

分からなかったことが、ある日データとして見えたときの感覚が好きだった。

だから大学院へ進んだ。

周りが就職していく中で、もう少し研究したいと思った。

博士課程まで進んだ人なら、「研究が好き」という気持ちは、人生のかなり大きな選択を動かしてきたものかもしれません。

だから今になって「研究職ではない仕事もしてみたい」と思うと、単なる転職以上の違和感が出てくる。

昔の自分と話が合わなくなったような気がするのです。

あんなに研究したかったのに。

海外まで行ったのに。

博士まで取ったのに。

あの頃の私は、今の私を見たらどう思うんだろう。

「どうして辞めちゃうの」と言うのではないか。

研究を離れることより、研究が好きだった自分を裏切ることの方が怖い。

そんな人もいるのではないかと思います。

好きなことなら、仕事にしたいはず?

私たちは、小さい頃から「好きなことを仕事にできたら幸せだ」と聞いて育ちます。

好きなことを見つける。

それを仕事にする。

そして、その仕事をずっと続ける。

きれいな話です。

でも実際に好きなことを仕事にしてみると、少し違う景色も見えてきます。

研究が好きであることと、研究職として生きることの間には、思っていたよりたくさんのものが入っているからです。

研究そのものは好きなのに、成果を出し続けることに疲れてしまうことがある。

もっと一つのテーマを考えたいのに、次のポジションや研究費のことを考えなければならない。

面白い研究をしているはずなのに、勤務地や収入、任期のことが頭から離れない。

若い頃にはそれほど重要ではなかったことが、30代になって急に現実味を帯びることもあります。

どこで暮らしたいのか。

パートナーとどう生きたいのか。

子どもを持ちたいのか。

自分の時間をどれくらい仕事に使いたいのか。

これらを考え始めたからといって、研究への情熱がなくなったわけではありません。

研究以外にも、大切にしたいものが増えただけなのかもしれない。

でも研究が好きだった人ほど、それを「研究への気持ちが弱くなった」と受け取ってしまうことがあります。

昔はもっと研究だけを考えていられたのに。

昔の方が情熱があったのではないか。

私は研究者に向いていないのではないか。

そうやって、自分を責めてしまう。

でも、人は研究だけをして生きているわけではありません。

人生の中で大切なものが増えたことと、研究を好きではなくなったことは、別の話です。

私も、「好きなら続けるのが自然」だと思っていた

私自身、博士課程まで研究を続け、製薬で創薬研究を経験し、Harvardでも研究しました。

研究の世界に長くいたので、以前の私は「研究が好きなら、そのまま研究を続けるのが一番自然なのではないか」と、どこかで思っていた気がします。

研究が好き。

研究もできる。

だったら研究者になる。

それ以外に、わざわざ複雑に考える必要があるのだろうか、と。

でも、環境を変えながら仕事をしていく中で、少しずつ分からなくなりました。

私は確かに研究が好きだった。

今でも、科学の話は好きです。

知らなかったことを理解するのも好きだし、複雑な問題を考えることも好き。面白い研究の話を聞けば、今でもわくわくします。

でも、それと「研究者という一つの職業だけを続けたい」は、私の中では同じではありませんでした。

このことに気づいたとき、少し不思議な感じがしました。

研究が嫌いになったわけではない。

研究に失望したわけでもない。

研究してきた時間を後悔しているわけでもない。

それでも、ほかの世界を見てみたいと思う自分がいる。

最初は、その気持ちをどう説明したらいいのか分かりませんでした。

でも今は、好きなものを大切にする方法は、それを一生職業にすることだけではないと思っています。

もしかしたら、好きだったのは「研究職」ではなかったのかもしれない

研究を離れようとするとき、「じゃあ研究を捨てるの?」という気持ちになることがあります。

でも、そもそも自分は研究の何を好きだったのでしょう。

私はこの問いを、チェックリストにしたくありません。

実験なのか、論文なのか、仮説なのか、議論なのか、と項目を並べても、それだけではたぶん分からないからです。

むしろ、研究していた頃の自分を思い出すと、少し違うものが見えてくることがあります。

夜まで実験していても、不思議と苦にならなかった日はどんな日だったのか。

逆に、結果は出ているのに全然楽しくなかったのは、どんなときだったのか。

誰かと研究の話をしていて、気づけば時間が経っていたことはなかったか。

「研究が好き」という一言の中には、その人が本当に夢中になっていたものが隠れています。

それは、必ずしも「研究者という職業」そのものではありません。

誰も答えを知らないことを考えるのが好きだったのかもしれない。

複雑な情報をつなげて、「もしかしてこういうことでは」と考える瞬間が好きだったのかもしれない。

世界中の人がまだ知らないことに、自分だけ少し近づいている感覚が好きだったのかもしれない。

それなら、その感覚は研究室を出た瞬間に消えるのでしょうか。

私は、そうではないと思っています。

「研究を辞める」と「研究を捨てる」は同じではない

研究職以外の仕事を考えるとき、言葉が少し強すぎることがあります。

「研究を辞める」

「研究を諦める」

「研究を捨てる」

こういう言葉を使うと、自分が大切にしてきたものに背を向けるような気持ちになります。

でも実際のキャリアは、それほどきれいに切れるものではありません。

研究室を離れても、研究してきた人の頭の中から研究はなくならない。

何かを聞けば、「それって本当かな」と考える。

知らないことがあれば調べる。

情報が足りなければ、今あるものから仮説を立てる。

面白い科学の話を聞けば、やっぱり面白い。

私は環境を変えてから、そのことに気づきました。

研究を仕事の中心に置かなくなったからといって、研究してきた自分まで消えるわけではない。

むしろ別の場所へ行ったからこそ、研究によって自分の中に何が残ったのかが見えることもあります。

研究を好きだった自分を連れたまま、別の仕事をすることだってできます。

それでも、「もったいない」と思ってしまう

ここまで読んでも、もう一つ引っかかるものがあるかもしれません。

博士まで取ったのに。

ここまで専門性を積み上げたのに。

研究職を離れたら、やっぱりもったいないのではないか。

これは簡単には消えない気持ちだと思います。

博士まで進むには、長い時間がかかります。

だからキャリア変更を考えたとき、単に「次の仕事をどうするか」だけでは済まなくなる。

ここまで研究してきた自分は何だったのか。

博士課程へ進んだ選択まで間違いだったことになるのではないか。

研究者として成功するところまで行かなければ、途中で降りたことになるのではないか。

そんな気持ちまで出てきます。

私も、これは単なる「転職への不安」ではないと思っています。

過去の自分をどう扱うかという話まで含まれている。

だから、「研究が好きだけど、別の仕事もしてみたい」と思ったときに、すぐ答えが出なくても不思議ではありません。

長い時間をかけて選んできた道だからこそ、簡単には曲がれない。

でも、過去の自分を大切にすることと、過去の自分と同じ選択をし続けることは、本当に同じなのでしょうか。

私は、そこは分けてもいいと思っています。

研究職を離れることへの「ここまで頑張ったのに」という気持ちについては、別の記事でももう少し深く書きました。

研究職を辞めたら負け?「ここまで頑張ったのに」と思ってしまう人へ

研究を好きなまま、違う人生を選んでもいい

キャリアを考えると、私たちはすぐに答えを出そうとします。

研究を続けるのか。

辞めるのか。

でも、もしかするとその前に、自分の中にある少し矛盾した気持ちを、そのまま認めてもいいのかもしれません。

研究は好き。

博士までやってよかったと思っている。

科学の世界から離れたいわけでもない。

それでも、これからの人生では違うこともしてみたい。

もっと社会に近い場所で働いてみたいかもしれない。

海外に行きたいかもしれない。

収入を上げたいかもしれない。

家族との時間を大切にしたいかもしれない。

研究とはまったく違う能力を試してみたいかもしれない。

どれか一つを望んだからといって、研究への気持ちが嘘になるわけではありません。

若い頃の自分が「研究をしたい」と思ったことも本当。

今の自分が「ほかの人生も見てみたい」と思っていることも本当。

人の気持ちは、どちらか一つだけが本物でなくてもいいのだと思います。

だから、「研究が好きなら研究職を続けるべきか」という問いに、私は簡単にYESとは言えません。

研究を続ける人もいる。

研究から少し離れる人もいる。

まったく違う仕事へ行く人もいる。

そして、一度離れたあとに研究へ戻る人もいる。

大切なのは、研究が好きだったという過去に、これからの人生を決めてもらうことではないと思っています。

今の自分が、これからどんな毎日を送りたいのか。

その中に研究をどんな形で残したいのか。

研究者という肩書きではなく、自分自身の人生として考えたとき、初めて見えてくるものがあります。

「研究は好き。でも、このままでいいのか分からない」ときに

研究が嫌いなら、話はもっと簡単だった。

でも、好きだから迷っている。

研究を続けたい気持ちもある。

違う世界を見たい気持ちもある。

どちらも自分の本音だから、一人で考えていると同じところを何度も行ったり来たりしてしまいます。

そんなとき、無理に「続けるか、辞めるか」を決めなくてもいいと思っています。

私がキャリア相談で一緒に見たいのも、最初から転職先を決めることではありません。

その人は研究の何を大切にしてきたのか。今、何に苦しくなっているのか。これからの人生で何を増やしたいのか。そして、「研究者でなければ」という条件を少しだけ外したとき、どんな自分が見えてくるのか。

そこまで話して初めて、「じゃあ私は、これからどうしたいんだろう」という問いが、その人自身のものになっていきます。

研究が好きなのに、研究職を続けたいか分からない。

その矛盾は、消さなくてもいい。

もしかすると、その矛盾の中に、これから自分が本当に選びたいものが隠れているのかもしれません。

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