いじめられて不登校から東大大学院に合格し、Harvard Medical Schoolに留学するまで① 〜負けず嫌いの精神〜

ビリオネアマインド

今日は、私がこれまで達成してきた中で大きなウエイトを占める部分を掘り下げ、皆さんに少しでも勇気を与えられるような記事を書いていきたいと思います。

私はいじめられていた

冒頭にも書いた通り、私は本当に酷いいじめを受けてきました。

中学生の時は下駄箱の靴裏にガムをつけられたり、ドアを開けたら黒板消しが落ちてきたり、机の間を通ると急に横から足を出してきて転ばせようとしたり。(あまりにも陰湿ですね^^;)

すれ違えば舌打ちもされて、邪魔だと言われたり。

盗みみられたiPhoneのロック解除のパスワードを取って解除され、アカウントを乗っ取られたり。盗撮された写真が飲み会で公にされたり。

そのほかキリがないです。

当時を見てみれば、その時はいじめられるだけの要素があったのでしょう。ビクビクして自信がない態度が、相手の心の悪い部分に触ったのかもしれません。

でも今は外見に気を配り、歯も矯正して真っ白にし、トレーニングで筋肉も鍛え、髪型も変えてモデルデビューも果たし、昔とは全く違う自分になりました。多分、当時の同級生が私を今見ても同じ人物だと気づかないでしょう。

外見の話はさておき、今自分はこうして大学院で自分のまさにやりたかった基礎医学研究に没頭できたわけです。

紙一重で、不登校から転校・自宅で高卒資格を取るか悩むまで追い込まれた私が、どうして今、やりたいことで自由を手に入れられたのか、そのエッセンスを共有したいと思います。

きっかけは中学の定期テスト

私は中学一年生で部活に入った時から、人付き合いが上手くできず孤立していました。

特に、同じ部員だった女子とは本当に馬が合わず、部活もすぐに辞めてしまいました。

私は悔しくて、でもどうしたらいいのかわからなくて悶々としていました。

そんな中で定期的に繰り返される中間テストと期末テストを受けていく中で、自分は幼少期から英語に慣れ親しんでいたこともあり、全体的に40番目くらいの成績順位にいました。

たまたま小耳に挟んだその部員女子の順位は35位。

せめて成績では彼女に勝ちたいと思っていました。

中学に入ってから通い始めた個別指導の先生のやり方が私にとてもフィットし、”自分のペースで学習する”という習慣を手に入れられました。

私は中学受験も経験したのですが、どうしても集団授業は追いつけず、自分が何もできないような気分になっていました。

ですが、個別指導では、誰と比べることもなく自分のペースで好きなだけ勉強できるし、わからないところもその場で解消してくれるスタイルがとても自分に合っていました。

そんなわけで、毎回学校から帰ってからは塾に通い、自習スペースで黙々と勉強していました。

自立学習の成果もあって、ペースを掴んだ2回目の期末試験では10番台に入ることが出来ました。

答案用紙に大きく書かれた赤いハナマル・・・とても嬉しかったです。

もっともっと成績をあげたい、と思いました。

特進クラスでいじめられっ子とさよなら

私はその調子でペースを掴み、中学3年次には最高で学年3位になりました。

クラスでは1番で、常に成績トップにいた子よりも得意科目で最高得点を取りました。

その時から、「あ、私は自分のペースで物事を進めていくのが得意なんだ」と思いました。

私の通っていた学校は中高一貫校で、高校に上がると国公立志望の難関大を目指す「特進クラス」というものがありました。運よく(?)自分を当時いじめた人は普通の私立大コースで、特進クラスとはかけ離れた成績でした。

もうその人たちに勝って距離を置くには、特進クラスに入るしか選択肢がなかった。だから私は必死に勉強しました。

その甲斐あって私は無事に特進クラスに選ばれることが出来ました。そこで驚いたのは、みんな、各々自分の目指す目標に向かって努力しているので、他人を卑下したりいじめている暇なんかないということ。そこで初めて、いじめているの方こそ自分に自信がなくて暇だから、相手を痛めつけるしか出来ないんだ、と思いました。

今でも時々、夢やふとした瞬間に、いじめられた人とそのシーンが浮かび上がります。そこでは、私は抵抗して相手をコテンパンにやっつける映像が浮かぶのです。その度に、私は自分のことを心から大切にしたいと思います。

大学受験の失敗から東大を目指す!!

そこから特進クラスでの受験戦争が始まるわけですが、そこでも自分のコンプレックスを突くような出来事に見舞われました。

私は生物と英語が得意科目だったのですが、担当の先生がどちらも、生徒個人の成績と順位を公開する人だったのです。きっと、その方が競争心を掻き立てると思ってたのでしょう。

ですが、クラスにどうしても勝てない同級生がいました。

成績発表の時に全員が机から立って、点数を言われた順から座っていくのです。

発表の時に毎回、自分が優劣をつけられているようでとても嫌な気分だったのを覚えています。好きな生物と英語なのに、その人に負けただけで、自分が出来ない人だと言われてような気分になっていました。

なので、受験前で授業がほぼ無くなった時から、私はクラスの輪に入るのを辞めました。

一人で頑張っている方が、誰とも比べられなくて、自分のペースで伸び伸びと出来たからです。

自宅から自転車で5分くらいにある図書館に毎日通って勉強しました。

私はもともと獣医学部に入りたかったのですが、親から「動物を相手にしても、動物はお金を払ってくれない。食いっぱぐれるよ。」と言われ、ギリギリ直前に医学部の推薦を受け、国公立の二次試験でも医学部を受けました。

結果は全て残念・・・。志望校を担当の先生に相談して、二次試験直前に受けた私立大学になんとか合格して、その大学に進学することになったのです。

私はこの受験で、学歴コンプレックスを抱えることになりました。

自分に自信が持てなかったのです。

何か一つでも自分ができること、得意なことで自分に自信を持ちたい! と思いました。

当時は医学部か獣医学部を再受験することも考えたのですが、よくよく考えると自分は実験や研究も好きだなということに気づきました。

中高でもサイエンス部があったのですが、当時の剣道部の女子が「オタクみたいで気持ち悪い」を、私が見学したいのを反対されたので、行けなかった記憶があります(それでも行けばよかったと今は思いますが。)

それで、いざ、動物実験や顕微鏡を触ってみるとこれが面白い。

研究がとっても大好きになりました。

ずっと実験して、かつ自分の自信が持てるようにするにはどうしたらいいだろう?と考えていた矢先。大学2年からはみんながインターンに行き始めて就活準備をしていました。

ですが、理系では一部は大学院まで行って就職するケースが見られました。一般的に院卒の方が待遇がいいからでしょう。

私は特に就職したい希望もありませんでしたが、留学したいという夢はありました。

でも、専門性を持っていない自分が、広告で見るようなワーホリやボランティアで行くのは興味がない・・・

だったら、研究でもっと専門的なことを学んでから留学したい!と思いました。

そのような経緯から、大学院まで進んでから留学して、もっと自分の得意なこと・好きなことを極めたいという思いが強くなり、院進学と留学にアンテナを張っていました。

どうせまた受験するなら、日本で一番の大学院で研究しよう!

それなら東大しかない!!!

こうして、私の東大受験準備は始まりました。

続きはまた次回。

私の負けず嫌いな性格は、いじめの経験から培われた

また、今もそうですが、私はどうしても組織の中で人と競争しながら仕事するのが苦手。人によってペースも様々なんだから、一人ひとりが自分の目標を持って、メンターと1:1で進めた方がうまく行く。

アメリカが心地よかったのは、同じような日本人が同じようなことをしてるような環境がなくて、私ひとりが唯一無二な存在として自分を受け入れてくれたから。

私は絶対、これからも個人事業主としてコツコツ動く方が合っているし、私しか出来ない価値を提供していきたいです。

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